成長するということ

今日は2019年6月30日です。

今年に入って、身近な知人や友人、仲間が4人も他界してしまいました。
今日も父の代からお世話になった方のお通夜でした。奥様が同級生で、どう言葉を掛けて良いのやら・・・。「同級生だからな」などと何の意味も持たない訳の分からないことを伝えて帰ってきました。それでも、握手を交わした温もりに彼女の悲しみとありがとうのメッセージを感じながら帰宅したところです。

まずは、故人さまのご冥福をお祈り申し上げます。

さて、そんな気持ちで、ブログを投稿しようかと眺めた中に3年前に投稿を躊躇した記事がありました。いろいろな事が起こりますが、それでも生きていかなければなりませんという記事です。

限りなくプライベートな投稿です。
思い切って投稿します。

2016年1月31日、日曜日朝9時30分、次女の通う大学の通りを歩いている風景です。
この日は、卒業制作展の最終日でした。

次女が、作品を引き揚げるのに手伝ってほしいとの要請でここに来ています。
何でも、美術品扱いの運賃はバカ高いらしく、家具製造をしている父を頼り、ムスメパワーを使って親を動かしているようです。
要は、親バカということなのですが・・・。

この日は、予報よりも早く雨雲は東京を過ぎさわやかな朝を迎えていました。

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それにしてもあっという間の4年でした。

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いろいろと大変な時期に大学受験を経験することになり、彼女なりに将来を現実的に考えるようになったこと。
画家を目指すのではなく、ここで学んだことを糧に別の業界でキャリアを積みたいと姉と同じ業界、アパレル系に就職を決めた次女でした。

そんな考えに至らしめたことに親の責任として申し訳ない気持ちがあります。

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今年の次女の課は、25名のウチ2名だけしか就職しないとのこと。

一方、長女は、自分が好きだったブランドの会社を目指しパタンナーとして見事第一志望のアパレルメーカーに採用を決め3年目を迎えましたが、半年も経たずに分社化。喜びも束の間、先の見えない不安でかなりナーバスになり世の中の移ろいの厳しさを噛みしめていました。

あれから3年、分社化された勤め先で一所懸命頑張っています。そして、次女とは、年子なので長女にも同じようなつらい思いをさせています。

前日30日に、忘れ物を取りに会社に行くというので、家族で会社を見に行くことになりました。
次女の作品搬出のために乗ってきた業務用のワゴン車に乗せいざ職場見学に。
外から眺めるだけでしたが、それでもホッとする気持ちがこみ上げ、感慨にふけってしまうのでした。

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それぞれ、自分の生きる場所を作ろうとしています。まだまだ、未熟な部分が多いでしょうが、いろいろと揉まれて学んで成長していくことでしょう。

わたしは、親の敷いたレールがイヤだったにもかかわらず、他にやりたいことがあったわけでもないから柳のようにゆらゆら後を継いで今に至ります。が、子供には、そういう思いをして欲しくないと無理に後を継がせることはしませんでした。

しかしながら、この年になってみて思うことは、自分が生きた証を何か残し、それを伝え、できることなら次の世代に繋げていって欲しいという『欲』があることです。

この思いは、あることをきっかけに私が父に思う気持ちでした。

親の敷いたレールがイヤだったわけですが、あることをきっかけに、自分の責任として、自分の意思としてこの仕事に誇りを持って向き合うことにしました。
不器用だった自分は、父から職人としての素質無しと判断され、インテリアデザインの世界に進むよう言われるままに受験し、大学に行き、親の言われるままにその様な会社に入社し、修行して、親の会社に入社したのが30歳の時でした。

それから、20年後に不満が爆発。父(社長)にむき出しの感情をぶつけ、数日後に大事故を起こしてしまいます。命の別状はありませんでしたが、それ以降、お互いの関係が何かおかしくなります。
その後、時代の変遷について行けず債務超過の末競売にかかり、ウチを出なければならなくなったとき父の全てが変わってしまいました。

こうなると世間は、無情です。父は、そこから逃げるように自分の世界に入っていきました。先日ついに介護5の世界に行ってしまいました(この年4月25日が命日となってしまいました)。私のこともわかりません。
あれだけ活発でクレバーな人で天才的な家具職人だったのに・・・。

じいちゃん

そんな失意の姿を見ていると、自分が親父の生きた証を作らなければと思ってしまいます。自分がしっかり生きてあの親父の息子なんだと、そう考えてしまうのです。

父の生きざまは、その純粋さと素直で誠実な言動にありました。
手先が器用で、桐箪笥職人になりました。時代の要請で店舗家具製作を始め、昭和55年、56年には国体のお座りになる昭和天皇の椅子を作らせていただきました。

嫌なものでも、経験を積むことで、好きになれる部分があります。そして、嫌な部分が意外に取るに足らないところだったりします。自分の場合は、仕事が嫌だったわけではなかったみたいで、親に束縛されるのが嫌だった。
もしかすると、親に相手にされていなかったので寂しかったのかもしれません。やがて、何が嫌なのか自分でわからなくなってしまったりします。

本日のNHKクローズアップ現代で黒字企業であるにも関わらず、毎年3万件の零細、中小企業が廃業してしまう実態を放送していました。

いろいろな障害が自分の身の上にも起こり、これらの企業の実態を私も実感しています。地元の環境について行けず、時代が流れて地元での仕事は全売上の10%以下です。少なくとも地元では不要な会社です。それでも生きていかなければいけないわけで・・・。

でも、辛いわけではありません。事業を再生して早10年が過ぎました。事業再生時は6名でのスタート。現在は9名に。少しですが成長できています。地元では不要な会社ですが、首都圏では必要としてくれた会社に巡り会うことが出来、3年前からは毎年1〜2社ずつ増やすことにも成功しています。
こうやって自覚し覚悟すると、開ける道も見つかり、生きている実感があり「まぁ、こんなもんだろう。」という楽観を持つことが出来るから不思議です。

一つ解ったことがあります。辛いときこそ、その辛い部分に向き合うこと。向き合ってみると因果応報であることが実感できるはずです。それがなんなのか、素直に受け入れ向き合うことがとても大事です。

そして、辛いことを素直に話せる人に聞いてもらうことです。くれぐれもかっこつけはダメ。困難を乗り越えるときや会社を救うときはプライドは無用です。それが出来るかは、自分の器量が問われるときです。

やってみればドォって事無いことでした。

まぁ、覚悟を決めたならば、こんな時ほど適当にやりましょう!
きっとあなたの想いに役立つ何かを見つけることができるでしょうから。